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東京高等裁判所 平成11年(ネ)1988号 判決

控訴人(原告)

日本中央競馬会

右代表者理事長

高橋政行

右訴訟代理人弁護士

田島孝

控訴人(原告)

甲野春子

控訴人(原告)

甲野一郎

右法定代理人後見人

甲野春子

右控訴人両名訴訟代理人弁護士

沢野忠

被控訴人(被告)

株式会社タカハシプランニング

右代表者代表取締役

坂本信太郎

被控訴人(訴訟引受人)

株式会社アイ・デイ・エス

右代表者代表取締役

岩井輝実

右被控訴人ら訴訟代理人弁護士

真木光夫

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人株式会社タカハシプランニングは、控訴人甲野春子及び同甲野一郎に対し、別紙物件目録一記載の各不動産についてされた別紙登記目録一記載の各根抵当権設定仮登記の抹消登記手続をせよ。

三  被控訴人株式会社アイ・デイ・エスは、控訴人甲野春子及び同甲野一郎に対し、別紙物件目録一記載の各不動産についてされた別紙登記目録三記載の各仮登記根抵当権移転仮登記の抹消登記手続をせよ。

四  被控訴人株式会社タカハシプランニングは、控訴人日本中央競馬会に対し、別紙物件目録二記載の各不動産についてされた別紙登記目録二記載の各根抵当権設定仮登記の抹消登記手続をせよ。

五  被控訴人アイ・デイ・エスは、控訴人日本中央競馬会に対し、別紙物件目録二記載の各不動産についてされた別紙登記目録四記載の各仮登記根抵当権移転仮登記の抹消登記手続をせよ。

六  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

事実及び理由

第一  控訴の趣旨

主文同旨

第二  事案の概要

本件は、別紙物件目録一、二記載の各不動産(以下「本件各不動産」という。なお、一、二記載の各不動産それぞれを「本件各不動産一」、「本件各不動産二」という。)を所有している控訴人らが、その持分(後記一2(四)の本件花子持分)に根抵当権の設定を受けたと主張する被控訴人らに対し、根抵当権設定契約の無効又は根抵当権の担保すべき元本の確定及び被担保債権の不存在を主張し、右の持分にされた根抵当権設定仮登記等の抹消登記手続を求めた事案である。

一  争いのない事実

1  甲野太郎(以下「太郎」という。)及び甲野花子(以下「花子」という。)は夫婦であり、控訴人甲野春子(以下「控訴人春子」という。)は右両名の長女、控訴人甲野一郎(以下「控訴人一郎」という。)は右両名の養子である。

2(一)  本件各不動産は、太郎、花子及び控訴人春子が共有していた(持分各三分の一)。

(二)(1)  太郎は、平成五年三月七日に死亡し、相続により本件各不動産について太郎の有していた右(一)の持分は、花子、控訴人春子及び同一郎に承継され(花子の持分一二分の二、控訴人春子及び同一郎の持分各一二分の一)、同年一二月二二日、その旨の登記が経由された。

(2) 次いで、平成五年九月一日の遺産分割の結果、本件各不動産について、右(1)の花子が取得した一二分の二の持分のうち、各二四分の一ずつが控訴人春子及び同一郎にそれぞれ移転し、平成六年七月二〇日、その旨の登記が経由された(したがって、花子が太郎から相続した持分は一二分の一になった。)。

(3) さらに、花子は、控訴人春子に対し、平成六年六月一日、本件各不動産について有していた右(2)の持分一二分の一を贈与し、同年八月一七日、その旨の登記が経由された。

(三)  花子は、控訴人春子に対し、平成六年六月一日、前記(一)の本件各不動産に対する固有の持分三分の一を贈与し、同年八月一日、その旨の登記が経由された。

(四)  以上のように、花子は、後記4の本件根抵当権設定仮登記が経由された平成六年五月三一日の時点で、登記簿上、本件各不動産につき二分の一の持分(前記(一)及び(二)(1)の各持分の合計。以下これを「本件花子持分」という。)を有していたことになる。そして、前記(一)ないし(三)の持分移転の結果、本件各不動産に対する持分割合は、控訴人春子が二四分の二一、同一郎が二四分の三になった。

3  控訴人日本中央競馬会(以下「控訴人競馬会」という。)は、平成七年一〇月二三日、花子、控訴人春子及び同一郎から、本件各不動産二を買い受けた(右契約では、花子が持分二四分の一〇を有するものとされていた。)。

4  本件各不動産の本件花子持分について、平成六年五月三一日、被控訴人株式会社タカハシプランニング(以下「被控訴人タカハシ」という。旧商号「株式会社地伝」。)を権利者とする別紙登記目録一、二記載の根抵当権設定仮登記(原因平成五年一一月一六日設定、極度額二億円、債権の範囲金銭消費貸借取引、手形債権及び小切手債権、債務者花子、債権者被控訴人タカハシ。以下「本件根抵当権設定仮登記」という。)が経由されている。

5(一)  被控訴人タカハシは、被控訴人株式会社アイ・デイ・エス(以下「被控訴人アイ・デイ・エス」という。)に対し、平成八年八月二一日、本件根抵当権設定仮登記に係る権利を譲渡した。

(二)  右譲渡契約に基づき、本件各不動産の本件花子持分について、同月二二日、被控訴人アイ・デイ・エスを権利者とする別紙登記目録三、四記載の各仮登記根抵当権移転仮登記(以下「本件根抵当権移転仮登記」という。)が経由された。

二  争点に関する当事者の主張

1  控訴人ら((二)については控訴人春子及び同一郎のみ)

(一) 花子は、被控訴人タカハシに対し、本件花子持分につき根抵当権を設定していない。これを裏付けるものとして被控訴人らが提出した根抵当権設定契約証書(乙一。以下「本件契約証書」という。)の花子の氏名は、花子ではなく乙川二郎(以下「乙川」という。)が記載したものである。また、その前提となる被控訴人タカハシの花子に対する一億八〇〇〇万円の貸金債権は存在しない。

(二) 仮に、被控訴人らが主張するように、花子が被控訴人タカハシに対し、本件花子持分につき根抵当権(以下「本件根抵当権」という。)を設定したとしても、花子は、その当時、自己の行為の結果を判断・弁識するに足りるだけの精神的能力を有していなかったから、右の根抵当権設定契約は、意思能力を欠く者の行為として無効である。

(三) 本件根抵当権の担保すべき元本は、民法三九八条の二〇第一項一号の取引の終了又はその他の事由により担保すべき元本の生ぜざることとなりたることにより、既に確定しており、しかも、確定時において被控訴人タカハシの花子に対する被担保債権は存在していない。

(四) よって、控訴人らは、被控訴人らに対し、本件根抵当権設定仮登記等の抹消登記手続をするよう求める。

2  被控訴人ら

(一) 被控訴人タカハシと花子は、平成五年一一月一六日、本件各不動産の本件花子持分について、極度額を二億円、債権の範囲を金銭消費貸借取引、手形債権及び小切手債権、債務者を花子、債権者を被控訴人タカハシとする根抵当権設定契約(以下「本件根抵当権設定契約」という。)を締結した。本件根抵当権設定仮登記は、本件根抵当権設定契約に基づいて経由されたものである。

(二) 花子は、本件根抵当権設定契約締結当時、意思能力を有していた。

(三)(1) 控訴人らは、平成一一年一一月二四日、本件根抵当権の担保すべき元本の確定及び被担保債権の不存在を追加的に主張しているが、これは、それまでの本件根抵当権設定契約の無効を理由とする主張と争点が異なり、事実上新たな訴えを追加するに等しい。右の時点に至ってこのような主張を追加することは、いたずらに訴訟を遅延させる結果となるし、控訴人らは故意又は重過失により右の主張を遅れて提出したものであることも明らかであるから、時機に遅れた攻撃防禦方法として却下されるべきである。

(2) 仮に、(1)の主張が認められないとしても、被控訴人タカハシは、花子に対し、数回にわたり貸付を行い、平成五年一二月ころには、その額は一億八〇〇〇万円にも達しており、この貸金債権を担保するため本件根抵当権設定契約を締結し、本件根抵当権設定仮登記を経由したものである。そうすると、本件根抵当権の担保すべき元本は確定しておらず、現に被担保債権も存在するから、控訴人らの主張は失当である。

3  主要な争点

① 花子は、被控訴人タカハシと本件根抵当権設定契約を締結したか。

② 花子は、本件根抵当権設定契約当時、意思能力を有していたか。

③ 本件根抵当権の担保すべき元本は確定したか。被担保債権は存在するか。

第三  当裁判所の判断

本件全資料を検討した結果、控訴人らの被控訴人らに対する請求はいずれも理由があるとして認容すべきであるから、原判決を取り消し、被控訴人らに対し、本件根抵当権設定仮登記及び本件根抵当権移転仮登記の抹消登記手続をするよう命じるのが相当である。その理由は、以下のとおりである。

一  争点①について

1  本件根抵当権設定契約の締結を裏付ける証拠として、根抵当権者を被控訴人タカハシとし、債務者兼設定者欄及び証書の写しの受領者欄に花子の氏名が記載され、名下に「甲野」の印鑑が押捺されている平成五年一一月一六日付けの本件契約証書(乙一)並びに担保提供者欄に花子の氏名が記載され「甲野」の印鑑が押捺されている同日付けの担保処分承諾書(乙二)及び担保提供承諾書(乙三の1の3)がある。そして、本件根抵当権設定仮登記は、平成六年五月三一日、本件契約証書に基づいて経由されたことが認められる。

2  そこで、本件契約証書が花子の意思に基づき真正に成立したものと認められるか否かを検討する。

(一) 控訴人らは、本件契約証書に記載された花子の氏名は、花子ではなく乙川が記載したものであり、花子の意思に基づいて作成されたものではないと主張し、控訴人春子は、「花子は、乙一の花子作成部分の花子の氏名については知らないし、印章を押捺したこともないと言っている。」と供述しており、その陳述書(甲イ二六)にも同趣旨の記載がある。

しかし、他方において、控訴人春子は、本件契約証書の花子作成部分の筆跡について、花子は「自分のような気もするし、しないような気もする。」と言っていたと供述しているから、控訴人春子の供述によっても、右作成部分に関する花子の認識はあいまいであり、少なくとも花子は、右作成部分の自己の氏名を自署したことはないと明確に述べているわけではないことが認められる。また、控訴人らが花子の自署によるものであると認めている甲イ二六、三一、四四の10、12、14及び18、甲ロ一、二と本件契約証書の花子の氏名の筆跡を対比すると、かなり良く似ているといわざるを得ない。そうすると、本件契約証書に記載された花子の氏名は乙川が記載したとの控訴人の主張を採用することはできない。

(二) 本件契約証書並びに前記担保処分承諾書及び担保提供承諾書の花子作成部分の花子名下の印影が同人の印鑑によるものであることは、当事者間に争いがない。そして、証拠(乙三の1の3、4、控訴人春子本人)によれば、本件契約証書の花子作成部分の印影は、同人の登録印鑑によるものであること、そのころ、花子の登録印鑑は同人が自ら管理していたことが認められるから、何者かが花子の意に反して印鑑を持ち出して本件契約証書等に押捺したとは考え難い。

(三) 花子作成名義の平成九年一一月二三日付け陳述書(甲イ二六)には、花子は本件根抵当権設定契約は全く知らない、本件契約証書は乙川が勝手に作成した旨の記載がある。しかし、花子作成名義の同年六月一二日付け確認書(乙六)には、これと全く逆に、平成五年一一月一六日ころ、本件契約証書に署名捺印したことは間違いない旨の記載がある。このように、本件訴訟に提出された花子作成名義の陳述書面は、記載内容が全く矛盾しており、いずれが花子の真意を記載したものであるかを確定するには、花子自身から事情を聴くほかないところであるが、現在花子は、老年痴呆の疑いにより、過去に体験した事実を証言することは不可能な状況にあることが認められる(甲イ四八の1、2)。したがって、花子作成名義の陳述書面の証拠価値は、極めて低いといわざるを得ない。

(四) 被控訴人タカハシの元代表者山本眞也(以下「山本」という。)の署名押印のある委任状(甲イ二三)及び念書(甲イ二五)には、本件根抵当権設定仮登記は、山本の知らないうちにされたものである旨の記載がある。確かに、乙川の証言によっても、本件根抵当権設定契約及び本件根抵当権設定仮登記につき、山本が積極的に関与したことを窺わせる証拠はない。

しかしながら、被控訴人らは、右の委任状及び念書は山本が拉致された上脅された状態で作成させられたものであると主張し、乙川も右の主張に沿う証言をしているように、その作成経緯は極めて不明朗であり、山本の真意に基づいて作成されたと認めるには多大な疑問がある(特に、山本は、被控訴人タカハシ代表取締役として登記されているにもかかわらず、本訴提起後、全く姿を見せず、裁判所において被控訴人タカハシや山本の住所に宛てて発送した書類がすべて転居先不明になっている状況を考慮すると、右の疑いは一層強まるといわざるを得ない。)。したがって、右の委任状及び念書の証拠価値も低いというべきであるから、これらの書面によって本件契約証書が真正に成立したことを否定することは困難である。

(五) 本件契約証書の作成日付は、前記担保処分承諾書及び担保提供承諾書と同じ平成五年一一月一六日になっているが、そこに記載された花子の住所は、本件契約証書が「市川市大野町〈番地略〉」であるのに対し、それ以外は「船橋市古作町〈番地略〉」である。証拠(甲イ二七、乙三の1の4、証人乙川)及び弁論の全趣旨によれば、花子は、平成五年一二月初めころ、住民票上の住所を右の「古作町」から「大野町」に移したこと、したがって、同月一六日付けの花子の印鑑登録証明書に記載された住所は大野町になっていることが認められる。この事実からすると、前記担保処分承諾書及び担保提供承諾書は平成五年一一月ころまでに作成されたが、本件契約証書は、それより後の同年一二月以降に作成されたと認めざるを得ない。

このように、本件契約証書の作成時期は必ずしも明らかでなく、その作成経緯も不明確であるが、右のように、花子は、平成五年一二月一六日、大野町の住所が記載された印鑑登録証明書の発行を受けていることに照らすと、右の発行日からそれほど遠くない時期(同年一二月中又は翌年一月ころ)に本件契約証書を作成したと推認するのが相当である。いずれにしても、本件契約証書が作成日付よりも後に作成されたことのみにより、本件契約証書の成立の真正を否定することはできない。

3  以上の認定によれば、花子は、平成五年一一月一六日ころ、前記担保処分承諾書及び担保提供承諾書の花子作成部分の氏名を記載し、名下に「甲野」の印鑑を押捺し、その後の同年一二月から平成六年一月ころ、本件契約証書の花子作成部分の氏名を記載し、名下に自己の印鑑を押捺したと認めることができる。このように真正に成立したものと認められる乙一、二、三の1の3並びに証人乙川の証言及び乙五によれば、花子と被控訴人タカハシは、本件根抵当権設定契約を締結したと認めることができる。

なお、本件契約証書作成の前後において、被控訴人タカハシが花子に一億八〇〇〇万円を貸し渡した事実については、後記三2(三)のとおりこれを認めるに足る証拠はない。このように、花子と被控訴人タカハシの間において金銭消費貸借があったと認めることはできないとすれば、本件花子持分に根抵当権を設定することを花子が理解して本件契約証書に署名捺印したかどうかは、疑問の余地があるといわざるを得ない。しかしながら、根抵当権は、その性質上契約締結時において被担保債権が現実に存在していることを前提とするものではないから、現実に金銭の貸付がなかったからといって、根抵当権設定契約の成立自体を直ちに否定することはできないというべきである。

二  争点②について

控訴人春子及び同一郎は、被控訴人タカハシと花子が本件根抵当権設定契約を締結した時点において、花子は自己の行為の結果を判断・弁識するに足りるだけの精神的能力を有していなかったから、本件根抵当権設定契約は、意思能力を欠く者の行為として無効であると主張する。

よって検討するに、証拠(甲イ一ないし二二、二八、二九、三一、三二、三三の1ないし7、三四ないし四一、四四の1ないし18、四七、四八の1、2、控訴人春子本人)によれば、花子は、甥の乙川に利用され、言われるままに自己の所有する不動産を多額の債務の担保に供し、あるいは、乙川のため連帯保証するなどしたことから、夫である太郎が代位弁済をするなど肩代わりを余儀なくされたこと、そこで、太郎は、花子の財産を守るため、平成四年一一月二〇日、千葉家庭裁判所に花子を準禁治産者とする旨の家事審判を申し立て、同裁判所は、平成六年一月二八日、乙川に依頼されるがまま前後の思慮なく財産を巨額の債務の担保に供したことなどの事実から花子を浪費者と認定し、花子を準禁治産者とする旨の審判をしたこと、花子は、前記一2(三)のとおり、本訴提起後、本件根抵当権設定契約を締結したか否かにつき矛盾する内容の陳述書に署名捺印しているところ、平成一〇年五月二七日、老年性痴呆の疑いがあると診断されていることが認められる。そうすると、本訴提起後の花子の意思能力にはかなり問題があることが窺われ、遅くとも平成一〇年五月以降は意思無能力の状態に陥っていたと認められる。しかし、被控訴人タカハシと本件根抵当権設定契約を締結したころは、花子は浪費者であることを理由とする準禁治産宣告の申立ての家事審判事件が係属していただけで、控訴人春子らは、花子は既に心神喪失の常況に陥っているとして禁治産宣告の申立てをしていない。また、控訴人春子は、本人尋問において、花子はその当時ぼけていて物事の判断ができないような状態ではなかったことを認めている。そうすると、右の時点で花子に意思能力がなかったと認めることはできず、他に花子の意思能力の不存在を窺わせる事情を見いだすことはできない。

したがって、本件根抵当権設定契約締結時において、花子には意思能力がなかったとする控訴人春子及び同一郎の主張は理由がない。

三  争点③について

1  時機に遅れた攻撃防禦方法の却下

被控訴人らは、平成一一年一一月二四日の当審第四回口頭弁論期日に控訴人らが追加的に主張した本件根抵当権の担保すべき元本の確定及び被担保債権の不存在は、それまでの本件根抵当権設定契約の無効を理由とする主張と争点が異なり、事実上新たな訴えを追加するに等しく、右の時点におけるこのような主張の追加はいたずらに訴訟を遅延させる結果となるし、控訴人らは故意又は重過失により右の主張を遅れて提出したものであることも明らかであるから、時機に遅れた攻撃防禦方法として却下されるべきであると主張する。

しかし、本件根抵当権の担保すべき元本確定の可否及び被控訴人の花子に対する被担保債権の存否を窺わせる事情は、原審の証拠調べによりほぼ明らかになっており、右の点について期日を続行し証人尋問等を行う必要は全くなく、右口頭弁論期日において弁済が終結されているから、右の主張が追加されたことにより訴訟の完結を遅延させることにはならないというべきである。したがって、控訴人らが当審において追加した右の主張は時機に遅れた攻撃防禦方法に当たるから却下すべきであるとの被控訴人らの主張は理由がない。

2  本件根抵当権の担保すべき元本の確定及び被担保債権の存否

(一) 民法三九八条の二〇第一項一号

民法三九八条の二〇第一項一号は、「取引ノ終了其他ノ事由ニ因リ担保スベキ元本ノ生ゼザルコトト為リタルトキ」は、根抵当権の担保すべき元本は確定すると規定しているが、ここでいう「取引ノ終了」とは、根抵当権の被担保債権の範囲として定められている特定の継続的取引又は一定の取引が終了した場合をいい、「其他ノ事由」とは、客観的な事情から右の取引が行われる可能性が失われたと認められる場合をいうと解すべきである。そこで、被控訴人タカハシと花子の間において、「取引ノ終了其他ノ事由」によって本件根抵当権により担保すべき元本が生じないことになったと認められるか否か、さらに、被控訴人タカハシの花子に対する被担保債権の存否を検討する。

(二) 被控訴人タカハシと花子の状況

弁論の全趣旨によれば、本訴提起後、裁判所から被控訴人タカハシに対したびたび書類が送達されたが、すべて転居先不明とされていることが認められ(したがって、書類の送達は、すべて被控訴人タカハシから委任を受けた訴訟代理人に交付又は郵送によりされた。)、控訴人春子及び同一郎の訴訟代理人が被控訴人タカハシに送付した書面も同様である(甲イ五五の1、2)。また、本訴提起後、被控訴人タカハシの当時の代表取締役の山本が全く姿を見せていないことは前記一2(四)のとおりであり、被控訴人タカハシの社員等関係者も姿を見せたことはない。さらに、登記上本店所在地とされていた「渋谷区神宮前〈番地略〉」に被控訴人タカハシが存在した形跡はないことも認められる(甲イ五四)。これらの事実によれば、被控訴人タカハシは、そもそも営業をしておらず、法人としての実体のないいわゆる幽霊会社である可能性が高いといわざるを得ない。加えて、後記(三)のとおり、被控訴人タカハシが花子に一億八〇〇〇万円を貸し渡したことを認めることはできないから、そもそも両者間においては、金銭消費貸借取引は開始されていなかったというべきである。このような事情に照らすと、本件根抵当権設定契約の時点において既に、あるいは、遅くとも本訴提起までには、被控訴人タカハシにおいて、本件根抵当権設定契約で定められた金銭消費貸借取引等を継続的に行う可能性は失われていたと認めるのが相当である。

他方、花子についても、平成六年一月二八日、準禁治産者とする審判がされたから、右の審判が確定した後は、被控訴人タカハシとの間において、花子自ら金銭消費貸借取引等を行う可能性はほとんど失われていたと認めることができる。

このように、被控訴人タカハシと花子の間において、金銭消費貸借取引等が行われる可能性が客観的に失われていた以上、遅くとも本訴提起までには、民法三九八条の二〇第一項一号により、本件根抵当権の担保すべき元本は確定していたというべきである。

(三) 被担保債権の存否

以下の認定に照らすと、被控訴人タカハシが花子に一億八〇〇〇万円を貸し渡したと認めることはできない。

(1) まず、花子が被控訴人タカハシから現実に金銭を借り入れたことを裏付ける領収書等の資料は全く提出されていない。この点につき、被控訴人らは、右の貸付けを裏付ける証拠として、乙川が被控訴人タカハシ及び荒木公助宛てに発行した金額一二〇〇万円と二三〇〇万円の領収書(乙一三の1、2)を提出したが、これは乙川自身の借入れを裏付けるものでしかなく、乙川が花子の使者又は代理人として右三五〇〇万円を受領したことを認めるに足る証拠がない以上(金銭の授受を乙川と荒木公助に一任したとの花子作成名義の確認書(乙六)はあるが、花子の陳述書面の証拠価値が極めて低いことは前記一2(三)のとおりである。)、これらの証拠により花子が被控訴人タカハシから金銭を借り入れたと認めることはできない。なお、本件根抵当権設定契約は、債権者を被控訴人タカハシ、債務者を花子とするものであり、乙川は債務者とされていないから、乙川の債務は本件根抵当権により担保される元本に含まれないことは明らかである。

(2) 花子が住所と氏名を記載し、名下に「甲野」の印鑑を押捺した平成七年一二月一九日付け一億円及び同月一〇日付け八〇〇〇万円の各金銭借用証書(乙八、九)には、貸主の記載がなく、一億円の金銭借用証書に至っては、利息・損害金の記載もない。そして、乙川は、右の金銭借用証書の借主欄に花子が署名捺印した時点では、金額も日付も記載されていなかったと証言しているから、花子は、不動文字が記載されただけで契約の内容が全く記載されていない市販の金銭借用証書に署名捺印をしたことになる(金額や日付をいつ誰が記入したかは明らかでない。)。このような白紙に近い金銭借用証書の借主欄に花子が署名捺印したことに照らすと、これらの証拠により合計一億八〇〇〇万円もの金銭消費貸借契約が成立したことを認定することは疑問であり、少なくとも、被控訴人タカハシから花子に対し、契約に基づいて金銭が交付されたことを窺わせる証拠にはなり得ない。

(3) 被控訴人らは、一億八〇〇〇万円の金銭がどのようにして授受されたかにつき、平成五年一二月以前から数回にわたって被控訴人タカハシから花子側に貸し出されたものを、同月ころ整理して一つに集約したと主張し、その一例として、乙川が被控訴人タカハシから平成五年一〇月一三日に一二〇〇万円を、同年一一月二九日に二三〇〇万円を借り入れたことを挙げるが、前記(1)のとおり、これらは乙川自身の債務であり、花子が被控訴人タカハシから金銭を借り入れたことの裏付けにはならない。また、被控訴人タカハシから花子が借り入れたという合計一億八〇〇〇万円の使途は全く明らかでないし、乙川は、花子に金銭はほとんど渡っていない旨を証言しているから、少なくとも被控訴人タカハシが花子に金銭を交付したと認めることはできない。そうすると、被控訴人タカハシと花子の間において、要物契約である金銭消費貸借契約が成立したこと自体疑わしいというべきである。

(4) 前記(二)のとおり、被控訴人タカハシは、営業をしておらず、法人として実体のない幽霊会社である可能性が高いから、被控訴人タカハシから花子に対し、一億八〇〇〇万円もの多額の金銭が貸し渡されるとは到底考えられない。

(5) 被控訴人アイ・デイ・エスの代表取締役岩井輝実は、平成七年八月一八日に花子と面談した際、花子はお金を借りているとはっきり言っていたと供述している。しかし、前記二のとおり、本訴提起後の花子の意思能力については多大な疑問がある上、前記一2(三)のとおり、花子は、本件根抵当権設定契約の締結につき矛盾する内容の陳述書面に署名押捺していたものである。そうすると、仮に花子が右岩井に対し、金銭消費貸借を認める発言をしていたとしても、その発言の信用性は極めて低いというべきであるから、その伝聞にすぎない右岩井の供述も採用することはできない。

(四) 以上のように、遅くとも本訴提起までに本件根抵当権の担保すべき元本は確定しており、他方、右の元本に対応する被控訴人タカハシの花子に対する貸金債権の存在を認めることはできないから、本件根抵当権は、担保すべき元本がゼロのまま確定し、消滅したというべきである。

3  まとめ

そうすると、控訴人らは、本件各不動産の所有権に基づき、被控訴人タカハシに対し、本件花子持分にされた本件根抵当権設定仮登記の抹消登記手続をするよう求めることができる。そして、被控訴人タカハシは、被控訴人アイ・デイ・エスに対し、本訴提起後である平成八年八月二一日、本件根抵当権設定仮登記に係る権利を譲渡しているが、その時点において本件根抵当権は消滅していたから、被控訴人アイ・デイ・エスは、本件根抵当権を取得していないことになる。したがって、控訴人らは被控訴人アイ・デイ・エスに対し、本件花子持分にされた本件根抵当権移転仮登記の抹消登記手続をするよう求めることができる。

四  結論

以上のとおり、控訴人らの請求をいずれも棄却した原判決は不当であるからこれを取り消し、被控訴人らに対し、主文第二ないし第五項のとおり本件不動産についてされた本件根抵当権設定仮登記及び本件根抵当権移転仮登記の抹消登記手続をするよう命じることとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六七条二項、六一条、六五条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・塩崎勤、裁判官・小林正、裁判官・萩原秀紀)

別紙物件目録一、二〈省略〉

登記目録一〜四〈省略〉

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